「基礎」は本当に必要?いらない?……その問いに決着をつけようじゃないか!
こんにちは、管理人の冬鈴みちです。
デッサンや美術解剖学といった「基礎」とされる練習に勉強。
「やっぱりやらないと上手くなれないのかな?」「でも大変そうで二の足を踏んでしまう」
——特に独学で絵を描く人なら、一度はそう迷ったことがあるのではないでしょうか。
独学絵描き歴15年以上の私自身も、この「基礎論争」には長らく振り回されてきました。
そこで今回は、自身の経験やプロの意見を分析し、基礎練習の必要性とその真の意味について、私なりの結論を導き出します。
絵描き界隈で頻繁に見かける必要/不要論の真実、そして「今の自分は基礎練習を始めるべきなのか?」その最適なタイミングを知るヒントになれば嬉しいです。
なぜ基礎練習は議論になるのか?絵描き歴15年が抱える複雑な背景
絵描き界隈でよく見かける、基礎練習の必要/不要論
絵描きにとって、デッサンや美術解剖学などの基礎練習は本当に必要なのでしょうか?
プロのイラストレーターの間でも、「基礎は絶対必要!」という意見と「わざわざ基礎練習なんていらない!」という意見に二分され、この議論はSNSなどで常に交わされています。
で、結局どっちの意見を信じればいいの!?
……と迷っている読者の方も多いことでしょう。
しかし、長らくこの議論を見てきた私は、あることに気づきました。
実は、両者の主張は一見正反対のようで、本質的には同じことを言っているのではないか。
この「基礎必要論争」の裏側に隠された真の結論について、私の経験を交えながら深掘りして解説していきます。
私の場合:スランプを機に基礎からやり直したけれど……
ここで、私自身の話をさせてください。
絵を描き始めて5年目くらいの頃、私は納得のいく絵が全く描けなくなるスランプに陥りました。
そこから抜け出したくて、すがるようにあらゆる「基礎練習」を試したのです。
今振り返れば、この時期の基礎習得が、今の画力の安定感につながっています。
しかし当時は、なかなか成果が見えない上に練習すること自体が目的化してしまい、描く楽しみを完全に失ってしまいました。
その結果、「デッサンの正確さ」にこだわりすぎるあまり、情熱もなく演出もおざなりになった「無難な構図のつまらない絵」が増えていったのです。
基礎練習は上達の土台となる一方、上達の妨げにもなってしまった。そんな苦い経験があります。

管理人もかつて通ったルーミス本。タイトルに反して、中身は初心者に「やさしくない」ことで有名。人物デッサンにおいて必要なことが網羅的に普遍的表現でまとまっているので、中級者以上が頼るのは結局この一冊。
結論:上手くなるにはいつか必要。でも、練習より作品づくりを優先すべし!
私なりの結論は、「上達したいなら、基礎は絶対に必要」です。
ただし優先すべきは作品制作です。段階によっては、あえて「練習や勉強をやらないほうがいい」場合すらあります。
この一見矛盾する理由を解説します。
基礎学習を避けて通ると、必ず画力は頭打ちになる
まず確実にいえることは、「基礎を知らずに描き続けると、必ずどこかで画力が伸び悩む日が来る」ということです。
初心者のうちは、とにかく描き続けているうちに慣れてどんどん上手くなっていきます。
しかし、一定のラインに達すると、自分の感覚に頼って「なんとなく」描いているだけでは上達が難しくなってしまいます。
技術が伸びにくくなって「上達の楽しさ」を感じられない、一方で目は肥えて、自分の絵が下手になったように感じる……これが「スランプ」ですね。
ここから抜け出して上のレベルに行くために必要なのが「基礎」、つまり体系的な知識の習得です。
行き詰まった時、先人たちが何百年とかけて積み上げてきた「セオリー」を学ぶのが、最も効率的な方法です。それらを無視して「己の勘」だけで上達し続けるのは、おそらく超天才でも不可能でしょう。
安定して「上手い」人は、必ずどこかの段階で基礎をしっかり習得しています。
「上手く見えるセオリー」をわかっていないと、まぐれで上手く描けても再現性がなく「画力が安定しない」と感じやすいです。


管理人が長年愛用している、美術解剖学の資料集。古くから芸術家たちは人体表現のために解剖学を学んでいます。レオナルド・ダ・ヴィンチは実際に人体解剖を行っていましたし『ウィトルウィウス的人体図』も有名ですよね。
「作品を完成させる」ことで、課題が見えてくる
では、最初に基礎をマスターしてから描けば、後々スランプに苦しまずに済むのでしょうか?
私は「とりあえず基礎やってから描きたいもの描こう」には反対です。
課題が見えないままでの勉強は頭に入りにくく、目的のはっきりしない基礎練習はとにかく退屈だからです。
「基礎」の範囲は多岐にわたり奥が深いので、「マスターしてから描こう」では永遠に作品を描けないことにもなりかねません……!
それよりも実際に作りたい作品を完成させたほうが楽しく、何倍も上達できます。
先に作品制作を行い、それだけでは伸び悩みを感じるようになった頃が、基礎を見直すタイミングであると私は考えます。
作品を完成させる中で「なぜここがおかしいのか」という課題が見えてくるからこそ、その後の基礎学習が血肉になるのです。
特に「応用力」は実践でのみ身に付くスキルです。勉強や練習ばかりでも、それはそれで伸び悩みに繋がります。


自分の欠点がはっきり見えてくるのも、完成品あってこそ。直接プロに添削してもらうのが一番ですが、他人の添削結果を見るのも大いに学びになります。
神絵師の「練習不要論」の正体
ものすごく絵の上手い“神絵師”の中には、「基礎練習なんてしてません!ただひたすら好きなものを描いているうちに上手くなりました!」という方もいます。
イラスト上達法を発信しながら、あえて「練習するな!」と言い切るプロもいるほどです。結論とは矛盾しているように見えますよね。
私は、彼らが話す背景には、以下の2つの前提があるからだと考えます。
練習よりも「まずは作品を完成させよ」というメッセージ
基礎って勉強したほうがいいですか?練習はしたほうがいいですか?
漠然とこの質問を投げかける人の多くは、「失敗せず最短ルートで上手くなりたい」と考えている超初心者だと推測されます。
しかし、練習の効果は目的意識や課題の設定ありきです。
課題のわからないまま「なんとなく」する勉強や練習はやる気も効果も出にくいですし、自分で考える前に他人に答えを求めてしまう姿勢も、上達に繋がるとはいえません。
残念ながら「失敗せず最短ルートで」の上達法はありません。むしろ、どんどん失敗して自分で発見をしながら改善を繰り返すほうが圧倒的に早く上達することを、上手い人たちは知っています。
「そんな質問をするくらいなら、下手でいいからまずは作品を完成させてみなさい。」
神絵師の「練習不要論」は、このような意味で発せられていることが多いと私は考えています。
ある程度自分で実践した後なら、例えば「自然なポーズを描けるようになるには、どんなことをしたらいいですか?」のように具体的な質問になるはずです。
これには「人体構造を学ぼう」「実写モデルをスケッチして観察してみよう」など効果的な練習の提案もできますね。
さいとうなおき先生も「練習は後」派。詳しくはこの本でも語られています。
「練習」を「練習」だと思っていないタイプである
本当に「基礎練習らしい基礎練習」をせず上手くなった人も、確かに存在します。
ただし、基礎を全く勉強していないわけではありません。
おそらくこういったタイプは問題発見能力と表現への熱量が非常に高く、基礎習得を作品制作の中で無意識的にこなしている場合がほとんどです。
描きたいものを描くけれども、その表現のために必要だと思ったことは何でもやる。
そして作品のためにひたすら試行錯誤しているうちに、必要な基礎知識やスキルを自然習得しているのです。
「わからないことを調べて勉強するのは当たり前。でも退屈な練習をするくらいなら、作品を作りながら試せばいい。」
このように、学習と実践を全て作品制作の中で行うことで、その人には結果的に「練習」というものが必要なかった、と感じているだけという可能性が考えられます。
合間の基礎的な勉強や練習すら試行錯誤のうちで、「練習」とも思っていないのかもしれません。
まとめ:「基礎学習」とは、表現を豊かにするための「手段」である
今回は、デッサンや解剖学などの「基礎練習」が本当に必要なのかについて、独学絵描き歴15年の私の考えをまとめました。
私自身の結論は、「上達するのに基礎は必要。しかし、取り組むタイミングが最も重要」というものです。
漠然と描き続けているだけでは、いつか必ず画力は頭打ちになってしまいます。だからこそ、上手くなる過程で、どこかの段階で勉強や練習をすることは避けられません。
「できれば大変な基礎練習は避けたいな……」とがっかりした方もいるかもしれません。
でも、安心してください。初めから「基礎をやらなきゃ」と焦る必要はありません。
効果的な学習に必要なのは「何のためにそれをやるのか」という目的と、「今がそのタイミングだ」と実感できる課題です。
まずは何よりも、あなたの「描きたい!」という熱意を形にする作品制作を優先してください。
つまずきや伸び悩みを感じて「勉強と練習が必要かも」と感じた時こそが、最も上達に繋がるベストなタイミングです。
最後に。
基礎学習とは、あなたの表現を豊かにし、作品の説得力を高めるための強力な「手段」です。
目的化せずに、あなた自身の創作活動のために、楽しみながら使っていきましょう。



