こんにちは、管理人の冬鈴みちです。
皆さん、いま絵を楽しく描けていますか?
もし「描くのがつらい」「楽しくなくなってしまった」と感じている方がいたら、
この記事が少しでも気持ちを軽くできたら……そんな思いで書きました。
私はかつて、長い間“描けない”状態に悩み続けていました。
何を描いても楽しくない、何も描きたくない、でも描かなくちゃと苦しくなる——
そんなスランプの暗黒期が、年単位で続いたのです。
この記事では、そんな私が「また描きたい」と思えるようになるまでに
きっかけとなった7つの出来事を振り返っています。
意外かもしれませんが、そのほとんどは「描くこと」そのものではありません。
むしろ、描くことをいったん手放して、自分の心や体、環境を見つめ直すことで、
少しずつ前を向けるようになっていったのです。
もし今、描くことに苦しさを感じている方がいたら——
何かひとつでも、心に引っかかるものがあれば嬉しいです。
はじめに:何年も「つらくて描けない」状態だった、かつての私の話
私の創作活動に“異変”が起きたのは、絵を描き始めて5年ほど経った頃のことでした。
それまでは楽しく絵を描いていて、自分の作品のことも素直に「好きだ」と思えていたのに、
ある時から、完成したイラストを見て「なんか……可愛くない!」「全然好きになれない」と
感じるようになってしまったのです。
何度描き直してもうまくいかない。
新しいアイデアも形にならない。
過去に描いた絵のほうがよく見える……
そんな風に感じている間に、周囲の絵描き仲間たちは変わらず楽しそうに新作を投稿していて、
私はどんどん焦りを募らせていきました。
やがて、ペンを握ること自体が苦痛になっていきました。
それでも「ここでやめたくない」という思いから、がむしゃらに描き続けてはいたものの、
状況はなかなか好転しません。
納得のいく作品はほとんど生まれず、私は長いこと、暗闇の中を手探りでさまよい続けることになりました。
——でも、そんな日々の中でも、ほんの小さな変化や行動の積み重ねが、
少しずつ私の気持ちや描く力を取り戻す手助けをしてくれました。
そして今では、また初心の頃と同じように「絵を描くのが楽しい」と思えるようになっています。
今回は、そんな私がスランプから抜け出すきっかけになった出来事や工夫を7つ、ご紹介します。
描けないのは「技術不足」だけじゃない

絵が描けない原因は、「技術不足」だけとは限りません。
実は、もっと基本的で見落としがちな部分が、スランプの引き金になっていることもあるのです。
1. 姿勢とペンの持ち方を直した
思うように線が引けない、絵が歪んでしまう、集中力が続かない……
私にとって、その最大の原因は姿勢の悪さとペンの持ち方の癖にありました。
手首を固定し、力を込めて握り込むような描き方をしていた私は、
知らず知らずのうちに手に大きな負担をかけていたのです。
加えて、長年の悪い姿勢のせいで体全体が歪み、慢性的な腰痛にも悩まされ、
長時間座って描くことすら困難になっていました。
実際、スランプが最もひどかった時期には、どんなに頑張っても1日30分描くのが限界。
むしろ今思えば、「よく30分も耐えてたな」と驚くほど、絵を描ける体の状態ではなかったのです。



「気合が足りないだけ」と思い込んで、
なかなか「フィジカルの問題」には目がいかないものです。
痛みや疲労だけではありません。
この不自然な姿勢と手の使い方を続けていると、線や絵全体のバランスまで歪んでいき、
いくら描いても思い通りにならないループに陥ってしまいます。
あるとき、ふとその事実に気づいた私は、
整骨院に通って体の歪みと腰痛の改善、正しい姿勢の指導を受けることにしました。
同時に、ペンの持ち方や手の動かし方も基礎から学び直しました。
癖を直すのには時間がかかりましたが、
次第に「デスクに向かって手を動かすだけでつらい」という状況は改善されていきました。
悪い姿勢や持ち方のままでは、どんなに練習しても描けるようにはなりません。
これはまさに「絵を描く以前の問題」。
もし似たような悩みがある方は、ぜひ一度、体の使い方から見直してみてください。
2. 「頑張って描かない」ようにした
スランプ真っ只中だった頃の私は、いつも
「ちゃんと描かなきゃ」「すごいものを描かなきゃ」と無意識に思い詰めていました。
落書きなんて時間の無駄だと感じ、本番の絵ばかりに力を入れて、描くたびに疲れ果てる……。
それを繰り返すうちに、絵を描くことそのものが億劫になっていたのです。
私がようやく気づいたのは、「頑張って描きすぎていた」という事実。
とにかく完成のハードルを下げようと決め、「描くのに気合がいる絵」は一旦お休み。
代わりに、なるべく簡単な工程で短期間で仕上がる絵を描くようにしました。
たとえば、3日以内に描ける「ミニキャラ1体」を自分の新しい基準に設定しました。


さらにハードルを下げてたどり着いたのが、
「ジェスチャードローイング」という最短1分でできる練習法。
これを日課にしてからは、あれほど描き始めがつらかった私が、
毎日気楽に手を動かせるようになっていきました。
もしあなたも「頑張らないと描けない」状態に陥っているなら、
一度「頑張らずに描く」という視点を試してみてください。
(ちなみに、私がこれを習慣にできるようになったのは、ごく最近のことです)
※「ジェスチャードローイング」のやり方は、別記事で改めてご紹介します。
自分を縛っていたものを手放す



気付かぬうちに自分を縛っていた環境、人間関係、実績、思い込みなどなど……
それらを手放した途端、負のループから抜け出せることがありますよ。
3. Twitter(現X)をやめた
今ならはっきり言えます。もっと早くやめておけばよかった!
私の絵に対する劣等感や焦燥感、漠然とした不安感の多くは、Twitterから来ていた気がします。
タイムラインには次々と流れてくる神絵、楽しそうな相互フォロワー達の交流。
比べて落ち込み、常に人と繋がっている感覚に疲れていきました。
気がつけば、描く時間も心の余裕も奪われ、
「自分が何を好きで描いていたのか」すらわからなくなっていました。
思い切ってTwitterを離れたことで、そうした疲れが少しずつ消えていき、
時間的にも精神的にもゆとりが戻ってきました。
喧騒から距離を置くことで、自分のペースで描く心地よさを思い出せた気がします。
その代わりに私が始めたのが、この個人サイトです。
好きなときに好きなことを発信できる「自分の城」を持つことで、
ようやく静かに創作と向き合える場所ができました。
Twitterをやめる決断の背景や、やめた後に感じたことの詳細は、また別の記事でお話しします。
※管理人がやめた時点では「X」はまだ「Twitter」であったので、当記事では「Twitter」の呼称を使っています。
4. 過去の実績を全て失った
これは意図せず起きてしまったことなのですが……私は一度、過去の実績を全て失いました。
身の危険を感じるほどの対人関係のこじれが原因で、SNSや投稿サイトのアカウントをすべて削除せざるを得ず、
公開してきた全作品を消して逃げるようにネットの海から姿を消しました。
それまで積み上げてきた10年分の軌跡は「なかったこと」になり、
私は名前を変え、別人として活動を再スタートすることに。



イラストはもちろん、楽曲や動画制作の実績、わずかながらあった有償依頼や合作の記録も、すべて失ったそうです……
絶望のどん底に……いるはずだったのですが、不思議なことに、
どこか肩の荷が下りたような気持ちにもなっていたのです。
もう「下手な自分を見せられない」プレッシャーもない。
周囲に合わせて惰性でジャンルにしがみつく必要もない。
絵以上にうまくいかなかった作曲は、思いきって手放してしまってもいい。
そして、絵柄だって、心のままに変えてしまっていい。
積み上げたものを失ったことで、それに縛られていた自分の心が、ようやく自由になれた気がしました。
皮肉ではありますが、私にとってはこれが大きな転機になったのです。
過去を手放したからこそ、ようやく「今の自分」と向き合えるようになったのかもしれません。
5. 部屋を徹底的に片付けた
汚部屋……とまではいきませんが、長年私は「とにかくモノの多い部屋」に住んでいました。
いつも部屋はなんとなく手狭でうす散らかっていて、クローゼットは「魔窟」と呼ぶほどぎゅうぎゅう詰め。
自分が何を持っていて、何が必要で何が不要なのかも、もはやよくわからない状態でした。
そんな私でしたが、あの「実績をすべて失った事件」を機にふと、
「いらないものを全部捨てて、過去の自分と決別しよう」と思い立ちます。
- 大量の服や本
- 使い勝手の悪い家具
- 昔集めた画材
- 中途半端に手を出して放置していたその他趣味のもの
- 未使用のまま大事にしまってあったオタクグッズ
- その他いろいろ……
あらゆる「これからの自分にふさわしくないもの」を見直し、ときには悩みながら、手放していきました。
3年かけて、持ち物の8割近くを処分したと思います。
その過程で私は、自分の「過去」と向き合いながら、
「これからどう在りたいか」にも向き合っていたのだと、今なら思います。
そして仕上げに模様替えをして、ようやく創作に集中できる自分だけのスペースが整いました。
「やる気が出ない」のは、気持ちの問題だけじゃなかった。
私にとって片付けは、自分を取り戻すための、
そしてもう一度創作に本気で向き合うための、土台作りだったのだと思います。



描けるようになりたければ、まず「描くための環境」を整えることも重要です。散らかった部屋では、せっかくのやる気も逃げてしまいますよ。
描く喜びを取り戻した瞬間たち



技術的なスランプを抜け出せても、描くことを楽しめないとき。
一つの出会いが、大きく状況を好転させることもあります。
6. 新しいジャンルに一人でハマった
過去の実績をすべて失い、昔から追っていたジャンルでの活動も難しくなった頃。
再出発後も一部の仲間とは細々と交流を続けていたものの、自分の創作意義を半ば見失いつつありました。
そんなある日、なんとなく始めた新作のアプリゲームに、思いがけずハマってしまいました。
ただその作品はマイナーで、周囲にプレイしている人は一人もいません。
誰かと語り合いたい気持ちがなかったといえば、嘘になります。
けれど、ジャンルを乗り換えた負い目から積極的に「布教」する気にはなれず、新しい輪に入っていく気力も湧かず……結局そのコンテンツは、一人で楽しむことにしました。
でも、だからこそ「作品そのもの」と向き合えたのかもしれません。
誰にも邪魔されず、静かに、ただただその世界を味わう日々。
気がつけば私は、完全に“俺得”でしかないようなファンアートを描いていました。


「見てもらいたいから」ではなく、「自分の想いをどうしても形にしたくて描いた」——
それは、自分が初めてファンアートを描いた頃の純粋な気持ちとよく似ていました。
一人きりで描いた絵なのに、心は妙に満たされていたのです。
補足:このエピソードにおける「一人でハマったアプリゲーム」こそ、『千銃士:Rhodoknight』です。
↓公式サイトはこちら


残念ながらアプリは既に本編ストーリー完結を待たずしてサービス終了してしまいました。
しかしNintendo Switchに移植が決定しストーリーが完結するということで、その発売を楽しみに今も応援し続けています。
7. 「心の師」との出会い
私には「心の師匠」と仰いでいるイラストレーターが二人います。
もちろん、勝手にそう呼んでいるだけで、直接の面識はありません。
でも、創作を再び始めるうえで多大な影響を受けた方々です。
「絵との向き合い方」を教えてくれた先生
ひとりは、YouTubeでも人気のさいとうなおき先生。
先生の動画を見たことが、私にとって
「描けない理由は、絵の技術だけじゃない」と気づく大きなきっかけになりました。
(当時見たイチオシの動画をご紹介したかったのですが、動画が削除されており現在見られない状態となっているため、代わりに別のオススメ動画を貼っておきます)
特に衝撃的だったのは、先生の「うまく描こうとするの禁止!」という主張でした。
絵が上手くなるには、まず自分が描くことを楽しむこと。そして、見る人にも楽しんでもらうこと。
その楽しさを邪魔するのが、「上手く描かなきゃ」という気持ちなのだと先生は言います。
私はというと、「上手さ」にこだわるあまり、意思や熱量の感じられない——整っているだけの絵を描いていた。
そんな自分に、この言葉は深く突き刺さりました。
その後、先生の発信を参考に絵との向き合い方を変えていくうちに、
ようやく「最後まで描き切った」と思える絵を完成させることができました。


「こんな絵を描きたい!」と目標をくれた先生
もうひとりは、鷹氏シミ(タカ氏)先生。
再出発を機に絵柄を変えようと決意したものの、理想のスタイルが定まらず
迷走していた私にとって、出会いは突然でした。
ある日ふと立ち寄った書店で、目に飛び込んできたのがタカ氏先生のキャラクターデザイン教本。
「私の理想の絵柄はこれだ!」と心から思えた瞬間、進むべき道がぱっと明るく開けたような気がしました。
そのまま本を購入し、後にColoso.で動画講座も受講することに。
この出会いはごく最近のことで、まだ講座の途中ではあるものの、確かなモチベーションの火種となっています。



目標やモチベーションのスイッチは、思わぬところに転がっているもの。
少し気分転換がしたくなったときは、書店や画材売り場をぶらぶらしてみるのもおすすめですよ。
おわりに:また描ける日に繋がる鍵は、「描くこと」以外の小さな変化
私がスランプでつまずき、長い停滞を経て、また絵を描く楽しさや情熱を取り戻すまで——
その鍵となった7つのエピソードをご紹介してきました。
いかがだったでしょうか?
よく見るとこの中には、「練習」も「頑張って描くこと」も、実はひとつも出てきません。
むしろ大切だったのは、「絵を描かない時間に、どんな変化があったか」だったように思います。
だから、焦らなくても大丈夫。
一時的に筆を置いたっていい。
とにかく、描くことをやめさえしなければ——
いつかきっと、「描くのがつらい」状態から抜け出せる日がやってきます。
ただ、原因がわからないまま無理に描き続けてしまうと、
かつての私のように、苦しさだけが長引いてしまうかもしれません。
つらいとき、描けなくなってきたときは、一度立ち止まってみてください。
「絵の技術」だけでなく、自分の身体や心の状態、身のまわりの環境にも目を向けてみる——
そんな小さなきっかけが、再び描けるようになる日へのヒントになるかもしれません。
この記事が、そんなきっかけのひとつになれたら嬉しいです。